「帆を上げて進め」 イザヤ43:1~7、 使徒27:33~44 ( 2012.7.22)

◆ 帆を上げて進む-船の座礁(救い)
しかし、一難去ってまた一難です。船は浅瀬に乗り上げ、船首がその中にめり込んで船が動かなくなってしいました。ここでパウロにとって最大のピンチが訪れます。兵士たちは、囚人たちが泳いて逃げないよう殺そうと計ったのです。囚人の逃亡は兵士の責任となるからです。しかし、ここでも神の御手が働きました。異邦人である百人隊長がパウロを助けるために、その計画を思いとどまらせます。その結果、全員が無事に上陸し、命が助かりました。つまり、全員が救われたのです。
 窮地の傍らには常に神がおられます。しかし、それは結果であってパウロの命は暴風の猛威の前に、さらには人的力によって消し去られる寸前にまでさらされます。
 このようにすんなりといかないのが、わたしたちの信仰生活です。自分の罪を悔い改めて、帆を上げ、さあ出発というときに躓いてしまうことがあるのです。しかし、そこで慌てふためくことはないということを、イエスさまは身をもって弟子たちに示されました。ガリラヤ湖で嵐に遭遇し、舟を漕ぎ悩む弟子たちのところへ、イエスさまは湖の上を歩いて行かれます。そして「わたしだ。恐れることはない。」と声をかけ<ヨハネ6:20>、舟に乗り込み、彼らを無事目的地へと導かれました。

◆ 神は共にいる-わたしの目にあなたは貴い(贖われる主) 
わたしたちの信仰の基は、わたしたちを造られた主なる神にあります。<イザヤ43:1~7> 旧約におけるヤコブ、イスラエルへの呼びかけは、わたしたちへの呼びかけでもあります。「恐れるな、わたしはあなたを贖う。あなたはわたしのもの。わたしはあなたの名を呼ぶ。水の中を通るときも、わたしはあなたと共にいる。大河の中を通っても、あなたは押し流されない。」 さらに、神は「わたしは神、あなたの主、イスラエル(あなた)の聖なる神、あなたの救い主」と宣言されます。
 わたしたちにとって何よりも大きな恵みは、神が「わたしの目にはあなたは値高く、貴い」と言って下さることです。<同:4> 人の目にはどんなにつまらなく見えても、神の目にはすべてが貴いのです。なぜなら、すべてを造られたのは神だからです。人間の傲慢さ(罪)は、この創造主なる神を知らないところから来ます。
 パウロもかつては、自分が絶対者である神の立場に立って、キリスト者を迫害しました。そして、「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか」とのイエスさまの悲しみの声を聞いたのです。<使徒9:4> 回心したパウロはイエスさまによって贖われ、強められてローマへの道を歩み続けます。わたしたちはどうでしょうか。

◆ 挫折を恐れず進め        
 パウロにとって、挫折は物の数ではなかったでしょう。いつも帆を上げて前進しています。たとえ大きな困難故に、一時弱りを覚えることがあったとしても<Ⅱコリント11:29>、それ以上に「悲しんでいるようで、常に喜び」<同6:10>に満ちていたのがパウロです。それが、主にあって破局から救われた者の真の強さです。

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